2007年11月29日
そして僕は途方に暮れる
私はとても不器用で、「困るなあ、いやだなあ」と思いながら上辺だけの付き合いを続けるとか、なあなあで物事を済ませるということがきわめて困難だ。
いくら好きな相手でも伝えなきゃいけないことはあるし、むしろ相手との関係を大事にするのならどんどん伝えるべきだ。
そこから理解は始まるのだし、好きな相手とは相互理解を深める努力をすべきだろう。お互いに。
たとえば大好きな相手が、私の何かに我慢して交流を続けているとしたら。
そんなの嬉しくもなんともない。ひどい話だ。相手は私に対して誠実ではなかったのだ。
解決できないことだったとしても話せばいい。
その結果「じゃあもう一緒にいられない」という結論が出てもそれはそれでいい。
魚と猫は住む場所が違うし、自分が猫で相手が魚だとわかったら、別々に生きるべきなのだ。
だけど猫はときどき、「そういえば私には仲のよい魚がいた」と懐かしく回想するだろう。
相手を尊重するからこそ別々にいる。それはとても懸命で、素晴らしい分別だ。
あたりさわりのないおつきあいを延々と続けるよりも、もっと美しくて深い。
しかし、たいていの人は何かを言われた時点でひくね。
そこまでして私と相互理解を深めたくなかったらしい。じつに申し訳ない。
ひかない人もたまにいて、しばらく気まずくなったりするけれど、そういう相手こそ交流を続ける価値がある。
意見が衝突したり、傷つけ合ったり、それでもその人にこだわりがあって、仲良くしたいと思うならそうすればいい。それが人と向き合うということだと思う。
言いたいことも言わないで社交辞令を続けて何が楽しいのだろう。
SLでももちろんそう。
シムを買って独占使用して、外界との接触は買い物だけという状態ならこの限りではないけれど。
そんなこんなで、めんどくさいことにならないように、私はSLの人間関係をできるだけ広げないようにしているところがある。
私は自分がないがしろにされるのが大嫌いだ。ないがしろにされたと思ったらもう近づかない。お互いに時間の無駄だからだ。
だから相手もないがしろにしたくない。
しかし時間にも人数にも限度がある。ならば相手を厳選するのは当然のこと。うかつにフレンド登録のお願いはできないと思っている。大好きな相手ならなおのこと。
それでもめんどくさいことは次々に起こる。
うぜーな、気に入らないならフレンド解除しな。
だいたいそっちが申請してきたんだろうが。
もう放置放置。
なんて、心の中ですべてをなかったことにしてしまえれば楽なのだろうけど、そうできない自分がいる。
セカンドライフはちっともセカンドライフじゃない。リアルライフの一部。
書きながらテレビのチャンネルを変えたら、デヴィッド・ボウイのプロモが流れていた。
若い頃の彼はごっつう美人で、歯並びが悪かった。今も悪い(笑)。
彼は自分の半生をあるインタビューでこう語っている。
「僕はいつも煽動者であり続けた」
そして別のインタビューで、
「あなたの言動はすべてあなたにとって真実でしたか?」
と尋ねられて、答えたのだ。
「扇動的な発言以外はね」
素敵です。さすがボウイ。
今日のブログタイトルは90年代の流行歌の一節。
ひとつ残らず君を悲しませないものを
君の世界のすべてにすればいい
そして僕は途方に暮れる
(1992年「そして僕は途方に暮れる」作詩:銀色夏生 作曲:大沢誉志幸)
そういえばこれは銀色夏生の詞であった。どおりで好きなはずだ。
私は彼女のウォッチャーで、公私ともに気になる存在。著作はほとんど読んでいる。
彼女の詩集のレビューが某紙面に採用されたこともあったな、ふと思い出したけど。
どんな人かっていうと、短くは語れないので興味があったら各自調べてください。
毎月のように私は誰かとさよならしているのだが、今月もそうだ。
SLはじめて四ヶ月もたつのに、私もいつになったら学習するのやら。
そして
僕は途方に暮れる
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